春から初夏へと移り変わるこの時期、世間はどこか浮き足立っている。駅や空港には大きな荷物を抱えた人があふれ、観光地の話題がニュースを賑わせる。
いわゆる「ゴールデンウィーク」というやつだ。
何か予定がある人にとっては、心待ちにしていたことだろう。久しぶりの帰省、友人との再会、あるいは家族旅行。どれもかけがえのない時間になるはずだ。
一方で、特に予定のない人もいる。あえて予定を入れていない人もいれば、期待に反して予定の入らなかった人もいるかもしれない。
今回は、そんな「ひとりで過ごすゴールデンウィーク」を、少しだけ前向きに捉えてみたいと思う。無理に孤独を美化するつもりはないし、誰かと過ごす時間を否定したいわけでもない。
ひとりで過ごす休日には、いくつかの明確な利点がある。とりわけ大きいのは、「圧倒的な自由」だ。
起きる時間も、食べるものも、どこへ行くかも、すべて自分で決められる。誰かに合わせる必要がないというのは、想像以上に気楽なものだ。予定がないということは、何よりも贅沢なのかもしれない。
例えば、私はある年のゴールデンウィークに、近所の喫茶店を巡ることにした。普段は通り過ぎてしまうような小さな店に入り、コーヒーを一杯頼んで、ただ本を読む。観光地のような華やかさはないけれど、静かに流れる時間は驚くほど豊かだった。
別の日には、朝から部屋の掃除をして、気になっていた本をまとめて読むことにした。途中で眠くなれば昼寝をして、また目が覚めたら続きを読む。そんな気ままな一日を過ごす。
普段、会社勤めをしている人などにとっては、それだけで非日常だ。こうした過ごし方は、誰かと一緒ではなかなか難しい。ひとりだからこそ成立する贅沢だ。
また、孤独な時間は「自分と向き合う余裕」を与えてくれる。普段の生活では、仕事や人間関係に追われ、自分の内側に意識を向ける機会は意外と少ない。だが、誰にも邪魔されない時間の中では、自然と思考が深まっていく。
これから何をしたいのか。何に疲れているのか。何が心地よいのか。
そうした問いに、急いで答えを出す必要はない。ただ考えるだけでも、少しずつ輪郭が見えてくる。
もちろん、ずっと家にいる必要はない。ひとりでふらりと外に出るのもいい。混雑した観光地を避けて、少し離れた場所を散歩するだけでも、十分に気分は変わる。
重要なのは、「ひとりであること」を欠落ではなく、選択として捉えることだ。
誰かと過ごす休日が楽しいのと同じように、ひとりで過ごす休日にも、静かな充実がある。どちらが優れているという話ではなく、単に過ごし方の違いに過ぎない。
賑やかな連休のすぐそばに、ひっそりとした豊かさがある。
あなたは、誰かと過ごす方だろうか。それとも、ひとりの時間を選ぶ方だろうか。どちらを選んでもいいし、その年ごとに変わってもいい。
それに気づけたなら、ひとりのゴールデンウィークも、悪くないどころか、むしろ少し楽しみになるはずだ。
